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はじめに

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・動機

23歳でバイクの免許を取り、250ccのオフロードで毎週のように林道ツーリングに出かけていた。同じころNHKの「シルクロード」が放映されていた。初めて見る映像に、こんな世界があるのか、いつかこの道をバイクで走ってみたいと思った。そして加曾利隆の本を何冊も買って読んでいた。


しかし、その頃はバイクで海外に行くためには何百万円もかけ個人でバイクの輸出手続きをし、会社を辞めて退職金をつぎ込んでいくしか方法がなかった。そこまでは入っていけない。会社に勤めて、家庭を持ち子供ができると次第にバイクから遠ざかっていた。


あるとき、海外でバイクをレンタルしてツーリングを手配している会社があることを知った。その会社にも同じようなことを考えていたバイク乗りがいたらしく、シルクロードバイクツアーを企画しているとの案内が来た。考えることなく、参加を申し込んだ。行きたいと願ってから20年たっていた。


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・旅の形

日本からバイクを持っていくわけではない。アドベンチャーツアーを専門とする国内旅行会社がバイクを所有する現地の業者を探し、パッケージにする。我々は国際免許を取り、日本からヘルメットとウェアーを持ってバイクをレンタルするという仕組みである。


現地の旅行会社か日本の旅行会社の添乗員が道案内のリードライダーとなる。その後を日本人がアヒルの行列のようについていく。最後に現地旅行会社のメカニックを乗せたサポートカーが走ってくるという構成である。泊るところは、その土地でもかなりグレードの高いホテルである。2回ほどテントで野営をしたが、これは予定されての行動である。


人数枠があり、当初だけ10人であったが通常はバイクの台数の都合で6人で打ち切りとなる。参加者は毎回同じではないが、通して参加している人も何人かいる。若い人で30代、年配になると高齢では70歳代半ばの方もいた。



・行程と走行距離

旅行会社の当初の企画では、シルクロードをいくつかの区間に分けて1年ずつ走る予定であった。1回のツアーは出国・帰国で9日から11日、走行日数は6日から8日である。走行距離は短くて1200kmから長い場合で2900km。1日あたりだいたい200~400kmを走る。


前のツアーの終点を、次のツアーの出発点としてツアーをつないできた。唯一、トルクメニスタンからイランへの国境越えだけは省略している。出発点が国境の手前でバイクの手配の効率が悪い場合はマイクロバスで移動した。通過した国は、中国、中央アジア、中東、ヨーロッパの12か国。陸上の国境は13回通過した。


この旅行会社は、シルクロードツアーを4輪で実施した経験がある。しかし、2輪となると全く別次元の話になる。ヨーロッパやトルコでは、バイクのレンタルは商売として成り立っているが、中国や中央アジアでは業者を見つけるのが大変だったようだ。したがって、ルートの開拓に多大な時間がかかり、次のツアーの実施まで数年かかったことがあった。中にはとんでもないバイクがあった。


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当初の予定では、イスタンブールが目的地であった。せっかくだからローマまで行け、と旅行会社に頼みツアーを作ってもらった。最終的には旅行会社の都合で、ヴェネツィアまで行くこととなった。ヴェネツィアに着いた時、自分は60歳となっていた。


・このホームページについて

ツアーに行く都度、毎回ではないが職場や仲間内でパワーポイントを使って報告会を行っていた。このホームページはそれらを元にして作ったものである。職場でのワーポイント報告会は次回ツアーの休みを取りやすくするための根回しであるが、このホームページは自分自身の記録と興味を持ったことの掘り起しである。


まず、何時、どこで、何をしていたということをつなげるために、当時のメモをワープロにおこした。前半のツアーはフィルムカメラだったので、写真のデジタル化を行った。次にメモの内容と写真との突き合わせを行った。写真とグーグルマップから場所と地名を特定した。


こうした情報を元に記事を書き始めると、細かい事実関係はなかなか思い出せないことが多いが、気分感情は当時のものが断片的に思い起こされてくる。また、衛星写真で走ってきた道を辿ってみると、確かにこのカーブを曲がった、あの時見た風景はこのような地形だったのか、写真の画像と上空からの画像が一致した、という新しい情報が得られ忘れていた体験が少しずつ思い出されてきた。


撮影した写真を改めて調べたり拡大したりして見ると、当時気が付かなかったものが映っていたりする。それは看板の文字、背景の山や建物や植物、バイクの構造等々であったりした。そのような通りすがりに見たり聞いたりして気になっていたもの、あるいは当時は気にも留めなかったが今回気が付いたもの、それらを後で調べてみると意外なことが分かったりするものである。


ホームページの記事の中であれこれ解説を書いているが、ほとんど後で調べたものである。調べたことは、自分で興味を持ったことだけである。そういった意味で、グーグルアースと写真の風景を見比べながら位置を特定したり、調べ物をしながら記事を書いていると、もう一度別のツアーに行ったような気分になってくる。やってみると結構大変な作業であるが、楽しい。それは、元のツアーも楽しかったからである。


記事の表記であるが、当時の行動・気分・感情についての記録および記憶、文献、署名論文、公的機関のサイト、当方が職務上知りえた知見に基づいている情報については断定調としている。現地で聞いたこと、ウィキペディア等のネット上の情報、署名論文でも怪しい二次引用の情報については伝聞調としている。


記事の公開日であるが、単なる記事の並びを制御するために入力しただけのものである。このホームページの目的が「記録」なので、日付が昇順に並ばないと困るのだが、テンプレートとして選んだサイトが日付を降順にしか表示できないため、実際とは関係のない公開日を設定しただけである。従って、後で公開日を変えていることがある。


・謝辞

同行させていただいた方には大変お世話になりました。年間何回も海外ツーリングに行かれている方も多く、技量、精神力ともに優れ、現地のプロのリードライダーとデッドヒートを演じられるような方もおりました。そのような方は、走っている時も阿吽の呼吸で我々をさりげなくサポートしていただいておりました。


追い越しの時、後ろの方で高速で走ってくる車をブロックして走行車線を確保してくれたり、車の流れが激しく道路に出られずにいた時、最後尾で強引に鼻先を車の列に突っ込みクラクションを鳴らされながらもグループを出してくれたりと、暴走族的共同連帯の精神で技量の低い我々を支援していただきました。敬服の限りです。ただ、頼むからリードライダーを煽ってついていけない速度で2人でバトルするのは止めてくれ、コーナーに我々を110kmで引っ張って行くことは勘弁してくれと、後に続く半分ぐらいの参加者が心の中で叫んでおりました。


㈱道祖神の海野和久氏は、一からこのツアーの企画を立ち上げ、現地手配とリスクのあるリードライダーも同時に勤め、最後までこのツアーを引っ張っていただきました。海野氏がいなかったら、このツアーは実現しておりませんでした。言うことを聞かないアバウトな現地の旅行会社と、甘い考えで申し込んでくる我々参加者の間で、時には切れながら、17年の長丁場にわたり、我々の希望を実現していただいたことに深甚たる感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。






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Commented by 山内 at 2021-10-24 13:49 x
久しぶりにNHKのシルクロードのDVDを見て、ネットでイロイロ検索していたら、このサイトにたどり着きました。
メインの写真、素晴らしいですね。
実際にこの景色を前にすると、感動で震えそうです。
Commented by chukocb400sb at 2021-10-24 21:43
当時、参加者のほとんどはNHKのシルクロードを見たことが参加の動機でした。しかし、サバイバルツールを持参し秘境を走るつもりが、半分は高速道路とドライブインだったので皆「何コレ?」という感じでした。
by chukocb400sb | 2023-12-31 23:52 | ・ はじめに | Comments(2)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司