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6-03 ドーハ・商品・貨幣 下 9/13

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トルコの菓子を買って手元に残ったカタール中央銀行発行の5リアル紙幣である。このドーハでの体験は、貨幣と商品の関係について考えさせられた。およそ商品には2つの価値がある。使用価値と交換価値である。わかりやすく具体的な例はわらしべ長者の話がよい。

ある男が倒れた拍子に落ちていたわらをつかんだ。男はこれで顔の周りを飛んでいたうるさいハエを捕まえ、わらに縛って飛ばしていた。それを見ていた子供があれが欲しいと駄々をこね、困ったお母さんから頼まれてミカンと引き換にそれを譲った。こうして男は次々と困っている人と出会い、高価なものと引き換えに最後は家と田畑を手に入れることになった。

男はわらという「材料」を取得し、ハエを縛るという「労働過程」を経て男の子が有用と感ずる「使用価値」を持つ「商品」へと転化させた。ミカンという異なる使用価値と引き換えたことはわらに縛られたハエの持つ使用価値が同等の「交換価値」をもっておりそれが実現したわけである。

同時に客観的に見れば明らかに価額の高いミカンから「材料」と男の「労働」を差し引いたところに「剰余価値」が発生しているのである。この後、男は剰余価値を連続的に発生させ、最後は家と田畑という「資本蓄積」まで実現しているわけである。少し無理があるが、わらしべ長者の話は封建制社会の中でも商品経済による資本蓄積があるということを子供向けに解説したものである。

ただしこの話の中には「貨幣」が出てこない。あくまでも商品経済の話である。しかし、貨幣もまた商品のひとつである。貨幣は交換機能に特化した使用価値を持つ貨幣商品である。貨幣が金銀であった頃は、まだ材料それ自体に使用価値があった。金は古代から異なる文明の間でも国際的な商品の価値尺度であった。金が貨幣から身を引いた後、現代では貨幣それ自体に固有の使用価値はない。したがって交換機能を持たない貨幣商品は使用価値がなくなるのである。

この国は石油・天然ガス以外国内産業がほとんどない。商品経済も発達していないところに貨幣経済も発達しないのである。商品は存在する使用価値の合計以上に生産されると交換価値は低下する。値崩れを起こしひどい場合には生産恐慌となる。しかし最近は交換価値を低下させないために存在する使用価値に見合うよう生産力を調整するか、新たな使用価値を創出し生産を維持するようになった。

貨幣についても本来は使用価値の総体と信用機能を維持するだけの流通量で貨幣の交換価値=使用価値が均衡するはずである。ところが、存在する使用価値を過大評価しそれをあてこんで貨幣が集中すると貨幣の交換価値の値崩れが起きる。金融恐慌である。

商品についてはある程度使用価値と交換価値の均衡を管理するよう学習を積んできたが、貨幣に関しては実在する使用価値との均衡を見ることなく過剰供給が続いている。そして昨今は需要もないのに値上がりだけを見込んだ不動産への投資、そして誰かが借金を返せなくなり積み木崩しのように金融恐慌がはじまるという相も変らぬ学習能力の欠如がみられるのである。

ドルは世界通貨であるから世界各地に逃げ場があり交換価値は安定している。カタールリアルのような地域通貨はその地域内の使用価値の総体が小さいため、交換価値も不安定となる。使用価値を創出させるためには、現地で金を使わせることである。いわば二度と来ることはない途中下車した町で、1500円の食事代を5000円札で払ったら、お釣りを3500円相当となる地元商店会の商品券を渡された。この商品券はこの町でしか使えない。

したがって電車に乗る前に、商品券を使って駅の売店で買いたくもないこの町の土産を買わざるを得なくなってしまうわけである。この町の商品経済は本来は1500円の使用価値しか生まないはずが強制的に商品券を渡すことで5000円の使用価値を生むことになったのである。地域経済の生き残り方の一つであるが、自分はその筋書き通りの行動をさせられていたわけである。くれぐれも使用価値のないところに交換価値はないし、貨幣には交換機能以外の使用価値はないのである。

この都市の巨大なビル群はそれに見合うだけの使用価値も持っているのだろうか。ドーハからイランに向けて飛び立つときに航空機の窓から眼下に見えたその中心街である。数々の巨大な楼閣は確かなものなのか。離れるにつれ、それらは夕日の逆光を受けてしだいに霞の中へと消えていくのである。

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by chukocb400sb | 2021-10-23 06:03 | 6 マシュハドからタブリーズ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司