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再び単調な道路を西に走り続ける。イランの幹線道路は道幅もありよく整備されているが、景色が単調である。時折緩やかな起伏の山が見えるが、中央アジアと違うのは緑が見えないことである。それ以外は周囲にただ土漠が広がり、この風景は気温が上がってくると気分的にもつらいものである。

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我々が今走っている道路は昔のシルクロードそのものである。小一時間走ったところで修復中の昔の隊商宿の外壁の陰で休憩となる。修復中なので中には入ることができない。この要塞のような建物は17世紀に作られた本物の隊商宿である。建物は一辺が200mほどある巨大な四角形となっており、これを囲む城壁は2階建ての高さである。四方には見張り櫓が設けられ、外側に向けた窓はない。

隊商宿は11世紀にトルコの王朝によって計画的に整備された。ペルシアでは17世紀ごろに整備された。四方の櫓のある構造はこの時代の隊商宿の特徴である。隊商宿は2種類ある。大きな都市の隊商宿は、宿泊だけでなく倉庫や事務所も備え交易の場として建設された。交易路に沿った隊商宿は30kmから40kmに一か所、人が6時間から9時間かけて移動できる距離に設けられた。

隊商の規模はラクダ千頭で中規模であったとされている。この規模の隊商を襲い、荷とラクダを売りさばけば相当な利益になる。夜間、ラクダと荷を安全に留め置ける場所の確保は交易の安全にとって重要なことであった。隊商宿は交易の安全だけでなく砂嵐の際の避難所にもなった。隊商宿はラクダを休める広い中庭と池、水や食料を供給する店、食堂や浴場まで完備していた。

さらに盗賊団を撃退するための武器も置いてあったそうだ。当時の王朝にとっては交易からもたらされる利益は権力の基盤であった。権力の維持のためには交易の安全を保障することが必要であった。また商人だけでなくイスラムの巡礼者の保護も宗教的権威を維持するために必要な行為であった。

これは隊商宿の裏から撮った写真であるが、門は反対側幹線道路に面した一か所だけに頑丈なものが作られている。外壁の外に見える小さな穴は排水溝のようである。四隅の櫓の上に見張りがいると死角がないので簡単に侵入はできそうにない。外に対しては極めて閉鎖的な建物である。しかしこの隊商宿は修復された後、おそらく中庭に池がありその周りをレストランや宿泊施設が囲む観光施設になるとのことであった。
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隊商宿の周りには朽ち果てた家屋が散在していた。いつの時代の物かはわからないが、規模の大きな隊商宿であればその施設に入りきれない周辺産業もあったのではないかと想像される。隊商が落とす金で生活していた人々もいたことであろう。往時はこうした隊商宿を中心に小さな集落が形成されていたのではないだろうか。
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せっかくの隊商宿であるが、工事中で中に入ることはできず裏手の壁の日陰で休むだけであった。高温で強い日差しの中、バイクに乗っているだけで体力を消耗する。何もない土漠の中では日陰があるだけでも救われるのである。バイクとラクダでは比べようもないが、生身の体を外気にさらして移動していると、こうした隊商宿の有難みが多少でもわかるような気がする。







by chukocb400sb | 2021-12-10 06:10 | 6 マシュハドからタブリーズ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司