人気ブログランキング | 話題のタグを見る

5-00 タシケントからアクタウ・序  2012/9

5-00 タシケントからアクタウ・序  2012/9_f0388849_21430264.jpg

カスピ海、などというものをこの目で見ることができるとは思わなかった。カスピ海を見ることができたことと、今回のツアーが前回から5年も経過しているということは同じ理由からであった。現地でバイクの業者が見つからなかったのである。

前回、旅の最後にタシケントで添乗員が現地の旅行会社に聞き出していたことだが、この国の大統領は自分の乗った車がバイクに追い越されたことが気に食わず、都市部でのバイクの走行を禁止してしまったのである。この国で大統領にたてついてまでバイク旅行の企画をしようという度胸のある旅行会社はいなかったということだ。

結局どうしたかというと、前のカザフスタンのシルクオフロードモトクラブの連中を頼ることになった。つまり、バイクはカザフスタンで借りてカザフスタンで返さねばならない。その結果、本来はウズベキスタンからトルクメニスタンだけのルートとなるところ、カザフスタンを終点とするため北に大きくそれてカスピ海沿岸を走ることになったのだ。

こうして旅行会社が苦労してコースを設定したツアーに応募した後に東日本大震災が起きた。勤めている会社も大きな被害を受けた。そして震災直後に仙台に移動になった。ある事業所の責任者として立て直しをして来いという訳である。とても海外のバイクツアーに参加できるような状況ではない。そう旅行会社に断った。他の常連メンバーも同じような環境だったらしい、この年のツアーは見送りとなった。

内心ホッとした。実は参加できる状況ではなかっただけでなく、参加する金もなかったのである。移動の内示があった日にその話を自宅に帰って妻にしたところ、「えっ、仙台に。」と動揺していたのである。それを見てこれを逃したらもう二度とチャンスはないと思い、翌日バイク屋に行って欲しかった中古の400ccに手付を打ってきたのである。

それまで30年乗っていた250ccのオフロードは、前の年家を建て替える時に廃車にしてしまっていたのだ。スポークは錆びつきタイヤにはツタが絡まり乗るのも危険な状態だったのである。このままバイクなしで人生終わりにしたくない、しかし家を建て替えたばかりでバイクを買いたいなどと切り出せる雰囲気ではない。時間がたつほど現状が積み重なり、希望はその下に埋もれつつあった。

そんな時、会社からの転勤の支度金が天使のように舞い降りてきたのである。これは神の啓示だと思った。私は啓示に従って一歩前へ進むことにした。しかし、中古とは言えメーカーの正規の系列店で年式の新しいものを買うと、そこそこの値段である。支度金だけでは足りず、これに旅行のためにため込んでおいた資金をつぎ込んでしまったのである。

仙台に転勤になってからは事業所の立て直しに必死であった。休みの日には買ったばかりのバイクで沿岸部を回った。沿岸部の生活と産業は致命的な打撃を受けていた。多くの人が犠牲になり、残された人は元の生活を少しでも戻そうと、立ち上がるというよりただ動くしかなかった。自分も蠣養殖の支援ボランティアに参加した。

毎年8月になると仙台では七夕祭りが行われる。この年はお祭りなどやっていいのかという意見もあったそうだが、むしろ励みとすべきだという意見が通って実施されることになった。果たして仙台の一番町の七夕には全国から寄せられた復興を願う膨大な数の短冊が飾られていた。「東北の一日も早い復興を祈る。」「がんばれ東北。」「ボランティアに行きます。」こうした短冊がアーケード街の七夕飾りの中に満天の星のように続いているのである。人の幸せを願う数多くのメッセージの中に一枚、目の覚めるような短冊があった。

「どうかサマージャンボ宝くじが当たりますように。」

これを道の真ん中に飾った七夕実行委員会の感性に拍手をしたい。このような緩さというか余裕というか、大事だと思う。自分も忙しい傍ら、コツコツと旅行代金をため込んだ。こうして晴れて1年後ツアーに参加することができたのである。







by chukocb400sb | 2023-12-31 23:30 | 5 タシケントからアクタウ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司