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2-28 高昌故城の子供たち   9/3

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午後からは、トルファンの東側の観光である。高昌故城とは、トルファン市の南東にある高昌国の城跡である。漢から明代までトルファンの中心的な都市として約1500年間栄えてきた。一辺が1.5kmの土壁で囲まれたほぼ正方形で、面積は200万㎡ある。玄奘三蔵が天竺へ向かう途中に1カ月滞在し、仏教を講じた寺院跡も残っている。

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直射日光が強烈である。遺跡も広い。気候に慣れない体で、こんなところをうろうろ歩いていたら日射病になるであろう。見学はロバの引く馬車に乗って移動する。

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そこに物売りの子供が寄ってくる。「不要(プーヤオ)」と断るが次から次へと来る。すれ違う帰りの馬車に乗っていた物売りの子供たちがそこから飛び降り、こちらの馬車を追いかけてくる。自転車に乗った子供も追いかけてくる。よく見ると、自転車に片方のペダルはなく、片足だけでこいでいる。ブレーキもない。

我々が日本人と分かると、片言の日本語で話しかけてくる。どこで習ったのと聞くと、観光客から習ったという。学校はと聞くと、午前中で終わってお昼から物売りを手伝っているというのだ。そのくらいの会話ができるだけの能力がある。日本人の観光客との接点だけで、これだけの意思疎通ができものだろうか。

土産物屋のアルバイトであろうか、肩下げ袋や、紐で釣り下げた鈴などを20元くらいで売っている。取り立てて記念になるようなものではない。しかし、ただひたすら買って欲しいという意思を、片言で伝えてくる。あきらめようとしない。人擦れのない素朴な感じなので、こちらも拒否しようという感情が起きてこない。短い時間ではあるが、片言でこうしたやり取りをしていると、彼らと人間関係ができてしまう。こうなるともう駄目である。メンバーは皆降参してしまった。写真を撮ってあげて、皆で一人一個ずつなるべく多くの子供から買ってあげることにした。

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彼らは子供の頃から、言葉も満足に知らないのに、人の顔色を見ながら物を売る生活を送っている。顔色を見ながら、買ってくれそうな客とそうでない客を見分けながらついてくる。相手を見ながら交渉する、ということを子供のころからごく当たり前に生活の一部として行っている。彼らを見ていると、その場で人の気持ちを掴み自分の意思を通すということを、日々糧を得るために必要なこととして行っているのであって、この生業(なりわい)に対する執着心が我々とはまるで違う。この子らに機会が与えられれば、人の気持ちを動かして何かを成すという事において到底我々の敵うところではないと思う。

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帰り際の土産物屋にいた子供たちである。見ず知らずの私の近くに寄ってきて、丸いリングでベストのジッパーにつけていたプラスチックの名札を、何も言わず指差していた。見たことが無いものだけど何だろうと、気にかかったことを物おじせずに行動に表すことができるのである。この子らの所作や表情からは、自然に考えていることが伝わってくる。名札だよと言って、ジッパーから外してこの子に渡してあげた。こうやって付けるんだよ、ここに名前を書くんだよ、と言ってリングの使い方を教えてあげたが、最後まで不思議そうな顔をしていた。

その後、アスターナ古墳群とベゼクリク千仏洞を見学してホテルに帰った。幸いなことに腹は最後まで何とか持った。




by chukocb400sb | 2019-01-11 04:56 | 2 敦煌からウルムチ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司