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2-37 ウルムチ・旅の「結び」 9/4

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ウルムチは想像していたのとは全く異なる大都会であった。敦煌よりは大きいと思っていたが、これほど高層ビルが立ち並び、自動車専用道路が街を貫いて走っているような規模の都市であるとは思わなかった。

市内に入ると車の往来も激しい。我々は車の流れを縫いながら、やや下町の旅行会社の車庫にたどり着いた。ここが今回の旅の終点である。バイクは最後には車庫に入れなければならない。そのように言ってしまえばそれまでなのだが、もう少し旅の終わりの記念になるような場所で終わりたかった。

前回のツアーでは、敦煌に入る手前で国道を跨ぐ古い埃だらけの城門を潜り抜けた。その時は、とうとうここまでやってきたんだ、という気持ちの高ぶりを感じたものであった。しかし、車庫の扉の前で終点です、では旅の終わりとしては少し物足りないではないか。スタッフは早々とバイクを車庫の中に片付け始めた。この旅行会社はウルムチが本社である。これで家に帰って一杯飲めるとばかりに彼らだけで盛り上がっている。しかし、我々には旅の結びがないではないか。

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急げばまだ間に合うということで、博物館を見学することになった。ワンボックスカーに詰め込まれて、ホテルに移動する。ホテルでは、シャワーも浴びず、荷物を置いて着替えだけして出てくる。再びワンボックスカーに詰め込まれて博物館に移動する。

・新疆ウイグル自治区博物館
この博物館は、ミイラの展示で有名である。建物は古く修復中で、薄暗い中に数多くのミイラが展示されていた。なぜミイラが多いかというと、こちらの地域では土葬をすれば何もしなくても自然にミイラになるからであるという説明であった。

NHKのシルクロードで放映された、身長180cmの金のお面を被った男性のミイラがあった。身分の高い人である以外は詳しいことは分かっていない。

楼蘭の美女のミイラが展示されていた。1980年に楼蘭の小河墓遺跡から発見されたミイラである。これもNHKのシルクロードで放映されたのでよく覚えている。顔の肌が白く張りのあるままで発掘され、ミイラではあるがまるで静かに寝ているだけのような生命感があった。その当時のテレビの映像と同じように、全身が布に包まれ、顔だけが出ている。頭にはフェルトの帽子をかぶり鳥の羽が装飾として刺さっている。顔がきれいに残っている。長いまつ毛と深い目、鼻が高く、髪は褐色で肌は白く気品のある顔立ちであった。明らかにヨーロッパ系の風貌である。3800年前の女性であるが、なお美しく惹かれるものがある。ただ、今見ると肌には皺がより少し灰色をしている。目覚めてから少し歳を取ったようである。

旅行会社のガイドがあるミイラの前まで案内してくれた。これは昔の将軍のミイラであるという。このミイラは首が損傷していて、揺らすと皆に挨拶してくれるよ。そういって、ミイラの横たわったガラスのケースをそっと揺らすのであった。そうすると横になったミイラの頭がカクカク動いて、本当に皆に挨拶してくれるのであった。それは遠いところからよく来たよく来た、と歓迎の意を表してくれているかのようであった。

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翌日、帰りの飛行機の窓から見えた広大な畑である。それは一面の緑ではなく、まだら模様の緑であった。限られた水をどの畑に使うか、ここに住む人々が乾燥した大地と格闘した結果の緑である。

我々も、この生きるよりどころの少ない大地を、埃まみれになり、熱く乾燥した風を感じながら1000km走ってきた。最後にたどり着いた博物館で、その土の中から目覚めた将軍が我々を歓迎してくれたわけであるが、それは実は将軍を送り出した乾燥した大地そのものが我々を認めてくれた、ということではないか。そうだとすると、望外な、実に栄誉なことである。

と、勝手に解釈し自分で「結び」を作って今回の旅は終わることとした。


第2部 終









by chukocb400sb | 2019-03-15 05:14 | 2 敦煌からウルムチ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司