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5-15 アムダリアを越えて   9/17

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バンの後に続いて南に向かって走り出す。左側に川が並行して流れている。アムダリア川に続く運河である。すぐに右折して畑の中を走る。やがて大きな川に出た。アムダリア川である。川巾は広いところで1km、我々が渡ろうとする所は前後で一番川の狭い場所であるが500mぐらいの巾がある。水量も豊かな堂々たる大河である。川の手前でいったん停止し休憩となる。川岸は堤防と思われるが一段高くなっており水面などは手前の道路から見ることはできない。

アムダリア川はアフガニスタンのヒンドゥークシュ山地に源を発し、アラル海まで2574kmを流れる中央アジア最大の河川である。この川は山から大量の土砂を運び、下流に広大な平野や砂漠を作った。そしてその流域には中央アジアの古代文明が栄えた。

上流のアフガニスタン近くには紀元前からギリシア文明の影響を受けた古代都市が存在し、そのまま南に山を越えれば同じくギリシア文明の影響を受けたガンダーラ地方である。中流域にはブハラやこれから行くメルブなどの東西の交易路で栄えた都市があった。下流はアムダリアがアラル海に注ぐデルタ地帯に数多くの古代都市があった。アムダリア川の周囲には畑が広がっている。農家の人が子供連れで作業をいていた。この畑を人々はいつから耕していたのだろうか。

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もともとアムダリア川流域はペルシア系の人々が住んでいた。川の東に住んでいたタジク人はペルシア系アーリア人であり、インド人もペルシア民族の流れを汲んでいる。宗教も通じるものがあり、ゾロアスター教とヒンズー教では同じ名前の神様が出てくる。タジク人以外にこの川の東側にはトルコ系の遊牧民族が広い範囲に分布している。彼らの住む地域はトルキスタンと呼ばれている。この大河は遊牧民族と農耕民族、そこからくる政治と文化の自然の境であった。ここを越えればペルシアの歴史的文化圏である。

この河をギリシア文明やゾロアスター教が渡り、仏教が北上し、イスラム勢力が東へ越え、モンゴル軍が西へ渡り、ウズベクの王朝が交替しロシアが南下しこの地を支配するようになった。多くの文明や民族が越えてきたこの河をこれから我々も渡るのである。そこに架かっている橋を渡るためには料金を払わなければいけないらしい。文明の境は有料であった。

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ただこの時は文明の境を越えている、などと大層な思いを巡らせるような余裕はなかった。橋にさしかかると驚いたことにそれは鉄製の浮き橋であることが分かった構造は良く分からないが、船の形をした浮体がいくつも並んでおりその上に道路となる鉄製の箱がのっている。箱と箱はチェーンでつながれており、つなぎ目は巨大な蝶番で止められている。かなり大きな箱であるが、車が乗ると上下に浮き沈みの動きをする。

路面には滑り止めがあるが、基本的にはつるつるである。グリップ力のないブロックタイヤで、しかも足つきの悪いバイクで鏡のような鉄板の上をゆっくり進むのは神経を使う。交通量も多いので徐行で進む。とにかく転ばぬようにと走りに神経を集中し、周囲の景色など見る余裕はなかった。鉄の浮橋を渡りきってホッとしたというのが、アムダリア川を越えた時の正直な感想である。

川を越えるとすぐにトルクメンバッドという大きな町に入る。ここはトルクメニスタンで2番目に大きな町であるそうだ。道路は広いし町の建物も新しく小ぎれいであった。ただ昼過ぎの最も気温の高い時間帯であったためか、街中で人影を見ることはなかった。食事はクーラーのきいたホテルのレストランで予約されていた。食事もきちんとしてうまかった。日陰の涼しい部屋に入るとほっとする。ましてクーラーが効いているとなれば、座ったら動きたくなくなってしまうものである。

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食事が終わって外に出ると、強烈な日光にさらされる。この町から西はキジルクム砂漠である。広さは35万㎢もありトルクメニスタンの国土の7割を占めている。これからこの沙漠を越えていかねばならない。この沙漠はアムダリア川が運んだ土砂で作られたものである。いわゆる土漠で所々灌木はある。砂漠化の一歩手前といったところか、所々道路が砂を被っていた。山も見えず、タクラマカン砂漠のような砂丘もあるわけでない。炎天下の中、マリまで200kmただひたすら風景に変化のない土漠の中を走る。体力的にも精神的にもつらい。時間がたつのが遅く感じる。

忍耐強く走ること2時間、緑が次第に広がり大きなオアシスにたどり着いた。マリのあるオアシスである。ガソリンスタンドで給油する。変わった形のガソリンスタンドである。トルクメニスタンは道路はいいが、ガソリンの供給はウズベキスタンと同様不安定なようである。オクタン価90以上のガソリンはどこのスタンドにもあるとは限らないようである。このオアシスにメルブの遺跡がある。遺跡に着いたのは17時過ぎであった。

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by chukocb400sb | 2021-04-16 05:15 | 5 タシケントからアクタウ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司