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6-27 ソロモンの箴言     9/17

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16世紀、アルメニアはサファビー朝ペルシアの支配下に入るが、西半分はトルコに支配されていた。そしてトルコとペルシアの対立の中で、アルメニア人同士が戦わされる羽目になる。さて、ここでアッバース1世の登場である。アッバース1世はトルコとの戦いで後退する際、アルメニアで焦土作戦をとった。

つまりトルコの軍隊が来ても食料を調達できないよう、アララト地域の家・畑を全て焼き払ったのである。そしてアラクス川流域のジェルファー地区のアルメニア人5万人を強制移住させたのである。そして移動中半分に減ったアルメニアをイスファハンに住まわせた。これが今のノル・ジェルファー(新ジェルファー)地区である。「呼び寄せた」のではなく「強制移住させた」のである。

しかし強制移住させられたアルメニア人は勤勉であった。元々手先が器用で世界最小の本を作るなど工芸技術に能力があり商業では国際的なネットワークを持っていた。アッバース1世はアルメニア人は大いに利用価値があるとみて、彼らに生糸の独占販売権を認めた。

既存のイスラム商人が抗議に押し寄せたが、アッバース1世は「アルメニア人の方が有能である。」との一言で片づけてしまった。アルメニア人には信教の自由も保証され、課税の優遇も受け、自治区の代表も認められ相当な資産家も現れた。そのような背景がヴァーンク教会をはじめとする多くの教会が建てられた背景である。

一方本国の方はその後も理不尽な悲劇に見舞われている。19世紀にはトルコとロシアの争いに巻き込まれる。そして20世紀の初頭最大の悲劇が訪れる。トルコ国内では列強の侵略に対し民族主義的主張が高まり、これが民族差別と排除につながっていく。

この動きは国民感情からくるものではなく、トルコ政権内部の民族主義的な思想を持ったグループの計画的な動きであった。まず政権内部のアルメニア人が解雇される。そして村ごとに計画的にアルメニア人の追放と改宗の強制、集団的な処刑が行われたのである。町や村の男に招集がかかる。集まると監獄か人気のないところで処刑が行われた。
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大戦前、トルコのアルメニア人は150万~200万人とされている。アルメニア総主教の数字では184万人とされている。このうち100万人が殺され、40万人が山間部に逃げ込み大戦後連合軍に収容された。25万人はロシアに逃げ込み、20万人が強制的に改宗させられた。大戦後ロシアがアルメニア人地区に入った時には人はほとんどいなかった。時は第1次世界大戦のさなかでありこの事実はなかなか外に伝わらなかった。

1918年、ロシア革命のどさくさの中でこの地域からソ連が手を引き、周囲のグルジアやコーカサスが独立しアルメニアも独立を宣言した。この時領土は北部の高地に縮小し、心の故郷であるアララト山はトルコ領となってしまった。第2次大戦もトルコが連合国側についたためアルメニアの立場は弱いままであった。経済的にも苦しい状況が続き、今に至っている。

現在アルメニアの大虐殺についてはジェノサイドとしてヨーロッパだけでなくトルコの研究者も認めているところであるが、トルコ政府はこれを認めていない。2005年欧州議会はトルコに対し、EU加盟の前提条件としてアルメニア人ジェノサイドの認知を求める決議を採択した。

侵略や迫害の歴史の中で国外に逃れ出たアルメニア人は350万人にも上る。ヴァーンク教会に飾られていたアララト山の絵、ジェノサイドを記録した展示コーナー、何よりもイランの真ん中に離れ小島みたいなアルメニア人居住区、当時は意味が分からずただ漫然と見ていただけであった。調べてみてこれらのことがやっと繋がってきたのであった。
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ジェノサイドの展示コーナーに旧約聖書の一節がかけられていた。ソロモンの箴言の最初の一節である。「これ(箴言)は人に知恵と教訓とを知らせ、悟りの言葉をさとらせるためのものである。」この額に掲げられた言葉はこれだけである。何故この言葉が掲げれれているのか。ここに掲げられていないその後に続くソロモンの箴言の内容はこうである。

「 わが子よ、悪者があなたを誘っても、それに従ってはならない。彼らがあなたに向かって、「一緒に来なさい。われわれは待ち伏せして、人の血を流し、罪のない者を、ゆえなく伏してねらい、 陰府のように、彼らを生きたままで、のみ尽し、健やかな者を、墓に下る者のようにしよう。われわれは、さまざまの尊い貨財を得、奪い取った物で、われわれの家を満たそう。あなたもわれわれの仲間に加わりなさい、われわれは共に一つの金袋を持とう」そのように言われても、 わが子よ、彼らの仲間になってはならない、あなたの足をとどめて、彼らの道に行ってはならない。」







by chukocb400sb | 2022-04-08 06:27 | 6 マシュハドからタブリーズ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司