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6-28 スンニ派からシーア派へ 9/17

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夕食はピザとパスタのイタリア料理のレストランであった。アリさんの日本とペルシアにかかわる蘊蓄を聞きながらピザをほおばる。

「日本の千円札の富士山であるが、湖に映っているのは実はアララト山である。」ピザにふさわしい話題だ。誰かが千円札を出してひっ切り返した。これはヴァーンク教会に展示されていたアララト山の絵である。確かにアララト山にそっくりである。アララト山とはノアの箱舟が漂着した山でイランとトルコの国境近くにある山である。アララト山はアルメニアから見るとこのように見える。アララト山には大アララト山と小アララト山があり、左の小さいほうが小アララト山である。小アララト山はきれいな円錐形のコニーデをしている。しかし円錐形のコニーデは形が崩れなければどれも同じような円錐形になるのではないか。

「マツダの社名はゾロアスター教の教祖アフラマヅダからきた。」何、それ。「マツダの英文表示はMATSUDA ではなくMAZDAでしょ。」その場でメンバーの一人がスマートフォンでネットにつなげマツダのホームページを調べてみたら本当だった。「社名「マツダ」は、西アジアの文明の発祥とともに誕生した神、アフラ・マズダー(Ahura Mazda)に由来します。マズダーを東西文明の源泉的シンボルかつ、自動車文明の始原的シンボルとして捉え、また世界平和を希求し自動車産業の光明となることを願って名付けられました。また、マツダの創業者でもある松田重次郎氏の姓にもちなんでいます。」と書かれている。知らなかった。しかし、なぜアフラ・マズダーが自動車文明の始原的シンボルなんだ。社員は納得しているのか。

「ゾロアスター教は元々のペルシャの宗教だったが、日本にも伝わっている。」どこに?「日本の密教の護摩や奈良・東大寺のお水取りはゾロアスター教の影響だ。」ゾロアスター教はBC7世紀にゾロアスターによって興された。善悪二神論を唱え、火を聖なるものとする呪術的な宗教である。ササン朝ペルシアの国教とされ各地に広まった。中国では拝火教と呼ばれた。確かに密教では火を使った清めの儀式があるが、バラモン教の起源の方が線が太いとされている。

宗教はどうか知らないが、文化や経済は日本に伝わっている。能、狂言の前身は猿楽であり、猿楽は伎楽から影響を受けたらしい。伎楽は楽奏による無言の仮面劇でアーリア系の地域の文化らしい。伎楽面には中国やインドそれにペルシアをルーツとする名称のものがある。左は国立博物館の法隆寺宝物館に展示されていた伎楽面である。右はレストランでパンを焼いていた親父さんである。兄弟で通じるのではないか。

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ゾロアスター教は7世紀にイスラム教が広まるとあっという間に駆逐されてしまった。難を逃れたゾロアスター教徒はインドに逃げ込んだ。現在ではインドのムンバイがゾロアスター教徒のもっとも人口の多い場所である。イスラム教は教祖ムハンマドが亡くなると、早々にスンニ派とシーア派が対抗するようになった。同じコーランを経典とするので教義の内容に大差があるわけではないが、ムハンマドの後継者の家系をめぐってどちらが正統かの争いである。有力一族の主導権争いである。

イランは元々スンニ派が大勢をしめる地域であった。14世紀のモンゴル軍や15世紀のチムールの時代、支配者は宗教に関しては寛容であった。ところが16世紀、サファビー朝がイランを統一するとシーア派を国教とすることになった。これはイラン統一の過程で軍事力の頼みとしたトルコの遊牧部族がシーア派だったからである。そしてスンニ派大勢の地でシーア派への改修を進めていったのである。

初期のサファビー朝はシーア派主流とはかけ離れた過激な神秘主義派で呪詛をおこないコーランから逸脱して教祖を神とした。昼間から斧を担いだ役人がスンニ派のカリフを呪う言葉を叫びながら街を練り歩いたそうである。これでは住民はついてこない。そこでスンニ派住民にも受け入れられるようより穏健な正統シーア派に乗り換えることにした。要するに権力者にとっては政権を維持するために都合のいい宗派を選択しただけの話である。イスラムでは宗教によって税金が違う。スンニ派の僧職は兆散して他国に逃れることとなったが、住民にしてみれば税金が安ければどちらでもよかったのである。







by chukocb400sb | 2022-04-15 06:28 | 6 マシュハドからタブリーズ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司