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スイーオセ橋はイスファハンで一番印象に残った建築である。チェルヘストーン宮殿から南に1kmほど下るとザーヤンデ川という大きな川がある。そこに架けられた全長300mのレンガ造りアーチ構造の橋である。橋の渡口には数段の階段があり、人だけがこの橋を渡ることができる。歩道の両側は高さ3mあまりの装飾アーチによる壁高欄があり、所々に川が見渡せるアルコーブ状の部屋がある。

橋の両端に丸い塔があり、内部の階段から橋の下に降りることができる。橋の下は分厚いレンガが強い直射日光を遮蔽し、川の涼しい風が抜けるような構造となっている。橋脚のアーチ構造を利用した空間と通路があり、水位が低い時は橋のたもとの水際を歩くことができる。橋と川の水を一体とし、ここを訪れる人々のくつろぎの場となっている。

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この橋は美しい。自然に人が集まるような場所として計画されている。いたるところに隙間があって、そこは人がこもりたくなるような空間となる。夜この橋はライトアップされ、壁高欄のアルコーブでは数名がロウソクの明かりと炭火を囲んでバーべキューパーティーをしていた。

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この橋は建設監督であった軍司令官の名にちなんでアッラーヴェルディーハーン橋とも呼ばれているが、設計者の名は伝わっていない。しかし、この橋を設計した人はここで人々がくつろげるような場を提供したのである。誰のための橋か、そのようなあり方も含めて美しい橋である。

ところでこの川には現在水が流れていない。対岸にボート屋があったがご覧の通り「上がったり」の状態である。アリさんの話だと2年前までは水が流れていたが今は干上がって水がないそうである。声を潜めて、大きな声で言えないが今イランでは水の枯渇が大きな問題になっているという。

大きな声で言えないというが、国際機関によってイランは水不足の国トップ14にランキングされている。イラン政府も海外に応援を要請しており、ドイツや日本が専門家を派遣している。日本からはJICAが調査に入っている。外国に向かって大声で助けを呼んでいるのである。

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イランの水資源量は年間1285億㎥しかないのに使用量は年間930億㎥もある。水の使用率は72%となるが世界平均の9.3%と比べると異常である。ちなみに日本の水資源量は年間6400億㎥で使用量は年間809億㎥である。イランの人口は7800万人と日本よりも少ないにもかかわらず水の使用量が多いのは農業用の用途が多いからである。イランの水不足の原因は地球温暖化の影響で山地の降雪量が少なくなっているからである。

このザーヤンデ川もイスファハンの西方のザクロス山系の雪解け水が源流である。この川に水がないとスイーオセ橋を写真に撮った時絵にならないが、事はそう言うレベルの問題ではない。ザーヤンデ川は全長400kmもあるイラン国内でも最大級の河川である。流域人口は300万人におよび主要な産業は農業である。水不足は流域の人々の生活に深刻な影響を与えている。この川は海に注がず東のガフーニー湖で終わっている。ザーヤンデ川の水量が低下したためこの湖は現在完全に干上がっている。

これをアッバース1世が知ったら悔やむに違いない。ザーヤンデ川の水不足は当時から問題になっていた。アッバース1世はザクロス山脈を流れる他の川をせき止め、水位の高くなったところから山にトンネルを掘ってザーヤンデ川に水を呼び込む工事を始めていた。結局数年かかっても成功しなかったのであきらめている。

今は反対側の岸まで川底を歩いて渡ることができる。川底は丸い石がごろごろしており、所々水たまりがある。途中、手で握れるほどの川底の石を拾って持って帰ることとした。イランの土産は4$のマウスパッドの絨毯とザーヤンデ川の川底の石だけである。しかしこの川底の石はイランの大地そのものである。この石はここに来なければ手に入れることのできないものである。そしてこの石はここに至るまでの様々な過程も含めて、自分の中での「世界の何分の一」である。翌年、ネットで見たザーヤンデ川には水が流れ、川底は見えなくなっていた。








by chukocb400sb | 2022-05-06 06:31 | 6 マシュハドからタブリーズ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司