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6-35 ファミリーキャンプ   9/19

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ザンジャーンのホテルに着いたのは16:30であった。今日は350km走ったが何もトラブルがないとこのように早々と目的地に着いてしまうのだ。ザンジャーンはペルシア絨毯の産地で有名な町である。夕食はサポートカーのバスに乗って町中のレストランに出かけた。

ここで出てきたのはノンアルコールのビールである。イランではアルコール入りの本物は出てこない。このレストランではナンではなく米が出てきた。イランでは米がとれる。カスピ海沿岸の湿潤な地域では稲作が盛んである。この町は山を越えればカスピ海である。そのためか、イランでの主食はナンであるがこの地域では米を食べる習慣が盛んで一人当たりの年間コメ消費量は80~90kgもある。日本人の平均は50kgそこそこなので、それよりもはるかに米の主食としての位置は高い。

品種は長粒米でさっぱりしており、ご飯の上に黄色いサフランを振りかけるとこれがシシカバブとの相性が良く、日本人の我々にも違和感がなく食べやすい。他にイランで米はバターや砂糖かけた甘い料理として人気があるようだ。我々も子供のころ、バターを載せた熱いご飯を贅沢だと思って食べていた。ペルシア語でポロウとは米を意味する単語であるが、これがピラフの語源とされている。

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食事の後、町中を散歩しながらホテルに向かう。ここは医者だけが入っているビルである。専門を異にする個人の開業医が集合しており、総合病院の機能を持っている。ビルの上に赤い三日月の看板があるがイスラム圏の赤十字である赤新月社の標章である。

赤十字も赤新月社の標章もジュネーブ条約で国際的に同じ効力を持っている。オスマントルコの国旗が三日月と星であった。それ以来イスラム圏の国の国旗には三日月と星が図案化されている。三日月はイスラム圏の象徴である。赤新月社の標章はこの三日月が使われている。

ぜ赤十字を使わないかというと、赤十字は中世の十字軍を連想させるのでイスラム圏で使われなかったそうだ。赤十字の設立はたかだか150年前であるが、十字軍の起こりは1000年前である。日本でいうと壇ノ浦の合戦の恨みをまだ忘れていないということであろうか。

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町の中心地のサークルまでたどり着いた。アイスクリームを買い食べながら賑わいのある商店街を歩く。バーガー屋をのぞき込んで写真に撮っていたら、「写真ただじゃないよ。」と店の中から日本語で声がかかってきた。えっと思って顔をあげると、店から中年の恰幅の良い主人が笑いながら出てきた。

アリさんに通訳してもらうと、昔埼玉の幸手でバーガーの店に勤めていたとのこと。幸手のバーガー屋で修行してここで店を開いているという。せっかくだから食べて行けというが、ポロウで満腹である。礼を言いながら断ったが、久々に日本人に会ったと言って喜んでいた。

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ホテルの手前に広い公園があるがそこに入って驚いた。街灯が煌々とつき、大勢の人がテントを張ってキャンプしていたのだ。中には大型のテントもある。家族連れが夕食をとったり、若者のグループが音楽をかけて宴会をしたりと公園の芝生の広場で楽しんでいた。例によって公園は適度な木立と芝生が植えられ、トイレや炊事場が清潔に整備されている。

夜は涼しくてカラッとしているので大変過ごしやすい。雨がほとんど降らないので家族連れのキャンプでも全く問題ない。イランには今は定住しているが元々遊牧生活をしていた人も多い。国の政策でホテルをあまり作らせない、ガソリンが安い、町の真ん中の公園が整備されている、となると必然的に家族連は車で旅行し、公園でキャンプという形態が日常的な光景になるのであろう。

日本ではキャンプという形態は野外活動の延長で、旅行の延長ではない。キャンプ人口は増えているがなかなか本流に乗れないようである。広辞苑で「キャンプ」と引くと「野営」という日本語が出てくるが、「キャンパー」という言葉に対しては「キャンプをする人」と説明があるだけで固有名詞が与えられていない。日本国内では永住権が得られていないのである。これは湿潤な日本の気候によるところが大きいと思う。

自分も若いころ家族を連れて何回かキャンプに行ったことがあった。ある時、雨に降られるなかテントの設営に手間取り、家族は雨に打たれて濡れそぼって立っていた。地面はぐちゃぐちゃ、テントの中では火は起こせない。食事はパンだけ。テント内は水気でじめっとしており、この環境で今晩寝ることを考えた時、家族は負の側にスイッチが入ってしまったようだ。

アメリカ陸軍のサバイバルマニュアルには、人間が希望を失う最高の環境はずぶ濡れで泥の中に浸かっていることだと書いてあった。それに比べれば恵まれていると、場を明るくしようとして冗談を言ったのだが誰も反応してくれない。

その時、私以外の家族は全員何でこんなことをしなければいけないのか、天災ならまだしもこれは身勝手な一人の人間の判断による人災である、ということに気がついてしまったようだ。それ以来キャンプに誘っても家族は二度と来てくれなかった。公園で楽しそうにキャンプしているイランの家族連れを見ると、ちょっぴり羨ましいと思うのであった。








by chukocb400sb | 2022-05-27 06:35 | 6 マシュハドからタブリーズ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司