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6-38 隠れ里キャドバーン村  9/20

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バイクの旅は終わったが、今回のツアーはバイクの走りよりもこの国の置かれてきた特殊な歴史や普通の人々と接する機会が多いツアーであった。印象に残っていることをまとまりはないが記したい。

ホテルに到着後、着替えをしてすぐにサポートカーのバスでタブリーズから50km離れたキャドバーン村に観光に行く。村は台地上の山の中の谷の奥にある。台地の溶岩が侵食されて円錐状の山となり、その柔らかいところをくり抜いて空洞を作り住居として人々が生活しているのである。

アリさんの知り合いで一軒の家の中を見せてもらうことができた。要するに家を見せることが観光であり、彼らの収入源である。入り口には木戸があり短いトンネルを抜けるとかなり大きな広間となっていた。ここに絨毯を敷いて居間としているとのことである。我々以外にも観光客がいて皆で車座に座り、この家のおばあさんから村のいわれや住居の説明を受けた。

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彼らは800年間ここで生活しているそうである。なぜこんな不便なところに人が住んでいるか。彼らは13世紀にモンゴル軍が来たとき、家族を守るためにここに逃げてきたとのことであった。

モンゴル軍は抵抗する者に対してはその都市も含めて容赦なく徹底的に殲滅したが、降伏する者に対しては賦役・兵役を課すだけで宗教や自治に関しては寛容であった。モンゴル軍の兵力と残虐さに関しては彼ら自身が意図的にそのような情報を広めていたらしい。だいたい広報用の兵力は十倍が相場であったらしい。

モンゴル軍は旅人や商人を歓待し、彼らから情報を集め逆に彼らを利用してこれから進行する地域に十分にうわさを広め、恐怖心をあおり抵抗しようという気運を委縮させた。実際にモンゴル軍がやってくると早々と城門を開く都市が多かったらしい。戦わずして効率的に支配領域を広げられたのはこうした情報操作によるところも大きかったらしい。

しかし、あのメルブのように何十万人もが犠牲になり、カナートまで破壊しつくし復興が不可能になった都市から命からがら各地に逃散した難民の証言はうわさ話では終わらなかったのだろう。したがってこのキャドバーン村のように、来ると聞いただけで奥地に隠れてしまう者も他に多くいたのではないか。

キャドバーン村に至る道は谷筋にはなく、草木がほとんど見られない土漠のような台地を通り、どう考えてもこの先に人が住むような場所は見当たらないだろうと思われるような風景の奥にある。そこをあえて進むと突然円錐形の岩山が林立する山と緑が茂る大きな谷が現れる。

この谷は湧水が多く、台地の上の方にも水場があるとのことであった。ここで彼らはモンゴル軍から隠れて息をひそめていた。そして通り過ぎるのを待っていたに違いない。しかしモンゴル軍は通り過ぎてはくれなかった。あろうことか彼らは目と鼻の先のタブリーズに居座り、ここを13世紀から14世紀にかけてモンゴル帝国の一つイル・ハン国の首都としてしまったのである。

馬で歩けば一日の距離に本拠地を構えれらてしまったわけである。それを知った時の村の人々の心中はいかばかりであったろう。ただモンゴル軍が仮にこの谷に入ってきても、放牧とわずかな畑しかないこの村についてはおそらく無視して放置していたのではないかと思われる。

歩いて山の上の方まで登ってみた。町から離れ山の中にあるこの集落は、台地の上からは見つけにくい。しかしこの村のある谷底は意外と広く、大きな樹木や畑が広がっている。モンゴル軍がいなくなった後もなぜ人々はこの村に残ったのか。

この付近の町や村はどこも谷筋にある。広いか狭いかの違いで条件はどこも同じような環境である。この村はその一筋の谷のもっとも奥まった場所にある。水が豊富で土地があれば、他に移ってまた一から始める必要もないのであろう。避難先が意外と暮らしやすかったということではないだろうか。

今、村には約150軒の家族がいるが、人口が増えることはない。家族が独立すると物置として使っていたスペースを新居にするとのことで、もう新しく家を掘ることはないそうである。そして牧畜と観光が村の主な収入である。家を見せておばあさんが話をするだけでお金が入ってくるのであれば、その生活を捨てる理由はないのであろう。

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by chukocb400sb | 2022-06-24 06:38 | 6 マシュハドからタブリーズ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司