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なぜモンゴル軍がタブリーズに居座ったのか。いろいろな事情で彼らは帰るところが無くなって、たまたまその時いた場所が居ごごちが良かったのである。タブリーズは古くからシルクロードの要衝であった。東西の中継だけでなく北はカフカスを越えてロシアに通じ、南はバグダットに通じる。ここを抑えれば中東全体を抑えることができる。タブリーズのバザールはイルハン国ができる前から東西交易の中心になっていた。

現在でも500m四方の敷地全体が屋根におおわれた屋内市場となっており7000もの店がある。このバザールは世界遺産となっている。我々も見学に訪れたが、例えばある一本の通路の両側が全て貴金属の店で占められそれが延々と続いているのである。天井には金の相場の電光掲示板が設置されており、リアルタイムで金製品の価格が変わり取引されているという。現在でもトルコなどから商品の出入りがあり国際的な交易機能を持っているという。タブリーズにはこうした古くから経済的に繫栄する基盤があった。

一方モンゴル軍の内情であるが、チンギスハン亡き後跡目争いを制したのがモンケ・ハンであった。このモンケ・ハンによって本格的な世界征服が始まる。モンケ・ハンは次弟のクビライ・ハンを東の南宋攻略に向かわせ、三弟のフラグ・ハンを西に向かわせた。フラグ・ハンは1253年モンゴルを出発した。その侵攻の速度は極めて緩やかであった。フラグ・ハンは時間をかけて、進路上の国から軍隊を供出させ兵力を増強させながら西進した。

あのエルブルズ山脈のアラムートの城砦に立てこもったイスマイール教団を包囲し、1年間かけて攻略したのもこのフラグ・ハンのモンゴル軍である。彼らはさらに西進しバグダットを落とし、ダマスクスに侵攻しエジプトに迫ろうとしていた。モンゴル軍はバグダット侵攻の前に兵馬を休めるためにタブリーズまで北上してここを宿営地としていた。あのスルタニエも息抜きの狩場だったようで、当時はもっと緑が広がっていたようである。

しかしここで本国の宗主モンケ・ハンが亡くなったとの知らせが届いた。本国に近い東征中のクビライ・ハンがいち早く取って返し跡目を継いでしまった。こうなるとその弟であるフラグ・ハンの立場は危なくなる。のこのこ帰ると同じ兄弟で継承権があるだけに下手をすると命が危ない。彼らは帰るに帰れなくなり中東で行き場を失ってしまったのである。そして下した決断が、だったらモンゴルに帰らずここで暮らすことにしよう、そして自分たちの国を造ればいいのではないかというものであった。

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そもそもモンゴル軍の軍隊は、家族と家畜が一団となって移動している。遊牧の一族がそのまま戦闘組織になっただけのものである。最前線で戦わされたのは徴発された征服地の男の住民だけで、自分たちは故郷に家族を残して単身赴任で遠征に来ているわけではない。家族ぐるみで中東まで放牧に来てしまったわけである。生産手段は家畜と牧草地と軍事力である。故郷に守るべき家畑があるわけではない。帰ることにより失うものの方がが大きい。

タブリーズは周辺に牧草地帯が広がっている。モンゴル高原や天山一帯によく似た緑草におおわれた風景が広がっている。故郷に似た風景の中で軍事と経済を握っているのは自分たちである。実態は先にできていた。こうしてできたのがイルハン国であった。そのような訳で拠点に選んだのがタブリーズだったわけである。その後イルハン国は第7代カザンハンがイスラムに改宗しイスラム化した。そしてこの時代スルタニエに首都を移しその弟オルジェイトの執政で大いに栄えた。イルハン国は約100年続き、続くいくつかのイスラム王朝もこのタブリーズを首都とした。

キャドバーン村の人たちはそのようなモンゴル帝国の内情など知る由もない。通り過ぎると思っていたモンゴル軍がここから50km北に首都を置いて国を作ったと聞いたわけである。あの伝説の秘密兵器、抵抗した銀河連合軍の星々を破壊してきた帝国軍の巨大惑星破壊兵器デス・スターが近くを通過するというので自分たちの小さな星の明かりを消して地下に潜っていたわけである。ところがある朝穴から出てきて空を見上げたら、そのデス・スターが目の前に浮かび、その周りに何隻ものインペリアル級スター・デストロイヤーがじっと並んでいたのである。そして隣の大きな星が帝国軍の首都インペリアルセンターに決まったと、そこから逃げてきた住民に教えられたのである。魂がひっくり返る思いをしたのではなかろうか。







by chukocb400sb | 2022-07-01 06:39 | 6 マシュハドからタブリーズ | Comments(0)

この旅行記は、シルクロードを西安からベネツィアまでレンタル・オートバイのパックツアーを乗り継ぎ、17年かけて走ってきた記録である。


by 山田 英司